不動の価値について

最近、時を経ても変動しない価値とはなんぞや、と考えることがある。

 

時代を超えて愛される場所とか、時を経ても輝きを失わぬものとか、そういう「ロングセラー」的な意味ではなくて(それはそれで掘り下げたいテーマではあるのだが)、「金銭的価値」が絶対的に下がらないものとは何か、下がらないのはなぜなのか、ということを自分なりに分析して論じてみたい。

 

きっかけは、先日行ったアートギャラリー。

 

絵画の価格というのはまさにピンキリで、なかなか素人目には判断しづらい。資産として購入されるケースも多いからか、ブランド価値を高めることで価格をあげていくコモディティ商品とは全く違う考えで価格付けがされていて、これとこれ、ど素人の私が見た感じではほとんど変わらないけど、え、100倍値段違うの!?ていうか、この絵、1億・・!?何それ都内にマンション買えるじゃん!といった感じで、その差の大きさが非常に興味深かった。

 

絵画だけではなく芸術品というのは基本的に一点もの。作り手が世界的に有名な故人であるほど不変の価値があるわけだから、この世界に「富豪」が消滅しない限り、需要が下がる、あるいはなくなることはない。「場所」も「時間」をも超えて、価値が不動なものなぞ、他にあるのだろうか?「不動の資産」という呼び名の土地について言えば、消えてなくなることはないが、周辺環境によって価値は変わるので、不動の価値とは言えない。ダイヤモンドの輝きは永遠だが、ダイヤモンドの希少性が永遠かと言うと、そうとは言えない。

 

と、ここまで資本主義的な視点でのものの価値について語ってしまったが、「ものの価値」の神髄は、そこではない。と信じている。私が今改めて感じる「価値あるもの」とは何か。

 

突然個人的な志向の話にシフトするが、やはり、作り手の哲学、美学、そして苦悩が反映されたもの。そんなものに惹かれる。言葉で補足せずに、それらをかたちにするのは至難の業ではあると思うし、実際自分は、大半の美術品を見ても、解説がないと理解できない。補足説明がなければ、自分のものづくりにかける思い、こだわりは誰にも伝わらないかも知れない。それであっても、解説にたよらず、自らの技能を磨き続け、細部に気を配り、作品と対峙し魂をこめる。そういった精神、生き様が、人の心をうつのだろう。そして、そういった人間の根源的な部分に迫った作品というのは、時代を超えて人の心を惹きつけてやまない。

 

そういったものにこれからもっと出会い、刺激を受けていきたい。そして、第三者の解説なしに、自らの目で主観的に価値を判断できるようになりたい。果たしてそれが、どういう「職業」なのかはわからないが。